吐き場

もがく社畜の日常。

そろそろ書くことを始めようと思う

  1.  

僕は本を読むのが好きだった。それと同じくらい文章を書くのが好きだった。

読書感想文は1時間もあれば書き終わったし、大学の単位がレポート提出で済むものばかリを選び、数時間で単位を獲得していた。友人のレポートを書いて数千円をもらうこともしばしばあった。

 

僕が大学を卒業して就職してからというもの、副業の波がじわじわとサラリーマンの間に押し寄せていた。ブログもそのうちの一つだ。僕が好きな執筆で飯が食えるならとやってみるものの書くことがない。与えられた課題があればできるのに、自由に書けと言われたとたん何も浮かばない。あこがれていた執筆が仕事になる前に、1週間足らずでやめてしまった。

 

そうして僕は副業ブームを横目で見ながら、仕事にまい進した。

社内ではある程度のポジションを確立し、海外駐在もした。

ただいつしか『この仕事でいいのか?』とよくあるアラサーの悩みに例外なく陥った。

 

こんなとき僕は本に解を求めた。小説やエッセイや自己啓発などジャンル問わず読む。

改めて文章の面白さを知る。やっぱり僕もこんな文章を書きたい。

 

じゃあネタはどうする。最初はこんな時僕はブログやニュース・動画から着想を得ようとした。手軽だからだ。ただTwitterを見ていてあることに気づく。

 

Twitterの投稿は面白い。異なるテーマについての意見がとめどなく流れてきて

それぞれが程よく面白い。でもそうなるとひとつのテーマについて思いを巡らせる暇がない。考えるためには、一つの投稿を読んで、次の投稿が目に入っていてもそこで目を閉じて、ページスクロールする指を止める必要がある。ただシリコンバレーの天才たちが人類の時間を使いつくすために作ったツールがそれを許してくれるはずもなく、考えることなく時間が流れる。投稿をただ見てしまう。

 

ニュースもブログもそう。手を止められない。別のテーマを見てしまう。

 

だからまた本に帰ってきた。

本なら基本的に一つのテーマ・一つの悩みについて深く論じられている。脱線することなく手を止めてそのことを考えることができる。携帯やテレビなど集中を阻害するものがなければ。慣れてくればTwitterやニュースでもいいんだろうが、集中力のない僕は本を選ぼうと思う。

 

そして本は多くの大人が本気で文章を考えて整えて労力をかけて世の中に送り出す。

Twitterやニュースはスナック菓子で、本はコース料理といってもいいかもしれない。手のかかり具合、本気度、有用性が違う。

 

僕は本を読んで、感想や意見を書き綴ることを始める。

少なくとも週1ペースで書いていく。もしペースが崩れても続ける。自分との約束だ。

これが仕事になればいいなと思いつつ、自分の思いをまっすぐすなおに。書いていく。